Weekly Kumamoto-ZINE

熊本にいる私という存在について。

最初に。

新しくブログを始めます。

熊本に住むひとりのアカウントプランナーとして、

熊本の風景と心象をふわりと描くような感じの空間をつくります。

 

いままでもいくつかの需要をもとに、SNSの記事を作ったりしてきました。

最初はデジカメを使って画像を作り、文章を添えていました。

その後、iPhoneの進化と共に画像はiPhoneでおさえ、文章を添えるようになりました。

 

iPhoneはどんどん賢くなって。

それなりに素晴らしい画像が撮れるのですが、

写真を撮る時の工夫とか四苦八苦がなくなったなあと。

 

ある日、SNSに上げた画像を見てある人が

「いかにもiPhoneの画像ですね」

と声をかけてきました。

別に嫌味でもなく、iPhoneだから綺麗に撮れてるという賛辞の言葉です。

でも僕は「これじゃダメなんじゃないか」と逆に感じてしまいました。

 

綺麗かどうかではなくて、個性が出ているかどうか。

苦労が見えるかどうか。

人の心に引っかかる画像って、

撮り手の何かが感じられる画像なのではないだろうかと。

 

むかし工夫を凝らして撮影していたときのことを思い出しました。

基本に立ち返ってみよう。

写真を撮ることについてはもちろん、

書くものについても改めて足元の熊本を眺め直してみよう。

 

それは僕の存在をもういちど研ぎ澄ますことになるかもしれない。

 

笑かす内容は書けないと思います。

驚かす内容も書けないと思います。

それでも一人の熊本人の存在を描ければと思うのです。

これはまだiPhoneの写真。熊本城の長塀(今でも熊本地震復旧中)。